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JA静岡厚生連 機関誌「すてっぷ」特集記事です。 2019.8 NO.501
「人生会議」
~アドバンス・ケア・プランニングについて~



清水厚生病院

外科 診療部長

岡上 能斗竜

アドバンスケアプランニング(ACP)
 あなたは、「もしものこと」を考えたことがありますか?
真剣に考えていますという人はまだ少数派なのではないでしょうか。病気になった時だけでなく、さまざまなライフイベントの中で少し頭をよぎることはあるでしょう。それをもう少し具現化し共有していくことが、今求められています。

 万が一のときに備えて、自分の大切にしていることや希望、どのような医療やケアを望んでいるかについて、自分自身で考えたり、信頼する人たちと話し合ったりすることを「アドバンス・ケア・プランニング(Advance CarePlanning:ACP)」といいます。「人生会議」というのは、このACPの愛称です。2018年3月に厚生労働省が改訂・公表した、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」で、このACPの必要性が明文化されました(図1)

図1 


 厚生労働省の調査によると、身近な人の死を経験した方の42・%が、「大切な人の死に対する心残りがある」と回答しています。そのうち、どうしていたら心残りがなかったかという質問に対しては、「大切な人の苦痛がもっと緩和されていたら」(39・8%)に次いで、「あらかじめ身近で大切な人と人生の最終段階について話し合えていたら」(37・3%)となっており、ACPの普及が望まれている現状がうかがえます。

ACPのポイント
 ACPについて少し堅苦しい言葉で説明すると、「将来の意思決定能力の低下に備えて、今後の治療・ケア・療養に関する意向や代理意思決定者などについて、患者・家族・医療者があらかじめ話し合うプロセス」となります。ポイントは3つあります。

 まず、意思決定能力の低下に先立って行われることです。“アドバンス”は「あらかじめ」とか「前もって」を意味します。がんや慢性の病気が進行して生命の危機に直面するような状況(いわゆる終末期)になった時には、約70%の人で意思決定が難しくなるといわれています。本人の意向が分からないと、家族や医療者はどういった治療やケアをすべきか悩み、最善の選択をすることが難しくなってしまいます。 では「前もって」というのは実際にはいつなのか、これにははっきりとした決まりはありません。現状では、がんなど一般に生命の危険がある病気になった時、その病状が比較的安定している時期に始めるのがいいと思います。

 2つめのポイントは、本人だけでなく家族や医療者が共に行うことであるということです。ACPと同じように意思決定に関する言葉として“リビングウィル”というものがありますが、これは、終末期の医療についての意向を表明する(家族や医療者に指示する)もので、基本的には個人単独で決めるものです。
 リビングウィルの問題点として、家族がその内容を全く知らなかったり、なぜそのような判断をしたのかが分からなかったりする場合があります。次の点にも繋がりますが、意向や価値観などを本人や家族、医療者がお互いに理解しながら本人の最善を考えていくことが大切になります。

 そしてACPの最も重要な点が、プロセスであるということです。意思というものは状況に応じて変わります。そのため、ACPは繰り返し継続することが必要です。また、実際の終末期の状況というのは複雑であり、その全ての状況についてあらかじめ決めておくということは非常に難しいことです。意思決定に至るまでのプロセスで意向や価値観などを共有することで、たとえ本人の意思決定が難しくなったとしても、家族や医療者が本人にとっての最善といえる選択を考えることが可能になります。
 繰り返しになりますが、これは本人が望む生活や治療を最期の瞬間まで続けるためにとても大切なことです。

ACPをはじめてみましょう
それでは実際にACPをどう進めていくのか(図2)。

図2 話し合いの進め方

  

各医療機関や施設、地域で工夫されたさまざまなツールがあります。ここでは厚生労働省ホームページに掲載されている「これからの治療・ケアに関する話し合い︱アドバンス・ケア・プランニング︱」(神戸大学 木澤義之/編)を一部ご紹介します。実際の内容は補足説明や選択肢があったりして、もっと使いやすいものになっています。

ステップ1:考えてみましょう
「もし生きることができる時間が限られているとしたら、あなたにとって大切なことはどんなことですか?」「このような状態になったら“生き続けることは大変かもしれない”と感じるとすれば、どのような状況になった時ですか?」「“生き続けることは大変かもしれない”と感じる状態になったとしたら、どのように過ごしたいと思いますか?」

ステップ2: 信頼できる人は誰か考えてみましょう
「もしもあなたが、病状などにより自分の考えや気持ちを伝えられなくなった時や、あなたが治療などについて決められなくなった時に、あなたの代わりに治療やケアについて話し合う信頼できる家族や友人の方はどなたになりますか?」

ステップ3: 主治医に質問してみましょう
「ご自身の病名・病状を知っていますか?」「病気の予想される経過や、余命を知りたいですか?」

ステップ4:話し合いましょう
病状の悪化などにより、自分の考えを伝えられなくなった場合に、「どのような治療を望みますか?」「してほしい治療やケア、そして、これだけはしてほしくないという治療やケアにはどのようなものがありますか?」「どこで治療やケアを受けたいですか?」

ステップ5:伝えましょう
「病状が悪化し、自分の考えを伝えられなくなった時に、あなたが望んでいたこととあなたの信頼できる家族や友人の考えが違う時はどうしてほしいですか?」話し合いの内容を医療・介護従事者にも伝えましょう。

「同の倫理」と「異の倫理」
 ここからは、本人ではなく家族の立場(支援する側)からACPを眺めてみます。治療やケアの選択をする際に本人(患者)と家族の意向が異なることは少なくありません。医療者としても悩ましい場面です。  倫理学では人との関係において、互いに支え合うという「同の倫理」と互いに干渉しない(“当人の意向を尊重する”と捉えます)という「異の倫理」という考え方があります。家族内の関係では、同の倫理が支配的に働くことが多いため、一見、理想的なようにみえます。しかし、同の倫理の負の側面として、「こう思っているだろう」とか「このことは伝えない方がいいだろう」など、本人の意向が勝手に判断されるケースがあります。また、家族が無理をして本人の意向に沿ったり、逆に本人に我慢を強いたりする選択をするようなこともまた負の側面といえます。こういうことはなかなか意識することが難しいですが、少し異の倫理へ傾ける気持ちがあっていいかもしれません。「本人のことだから、まず本人の意向を聞いてみよう」とか「このままだと参ってしまうから、もう少し皆にとっての最善を考えてみよう」といった感じです。

限定合理性
 もうひとつ、支援する側からの話をします。特に治療に関する意思決定は非常に複雑かつ高度な選択をしなければならず、合理的といえる意思決定が必ずしもできるとは限りません。ACPは“本人にとっての最善を考える”ことであり、“正しい選択をする”こととは少し異なります。それでも「どうしてその選択なの?」と戸惑うこともあるかもしれません。行動経済学という分野では、意思決定において合理性はごく限られた時にしか働かないといわれており、これを限定合理性といいます。正しい知識と情報があれば、誰しもが理に叶った選択ができるというものではないということです。詳細は省きますが、意思決定には様々なくせ(バイアスと表現します)があり、適切な意思決定を難しくしています。ACPの考え方に基づいて継続的に話し合いをしていくことは、これらバイアスを補正することに繋がります。

最後に
 先にあげた調査の中で、人生の最終段階における医療・療養について、実際に詳しく話し合っている人は2.7%にとどまり、55・1%の人が話し合ったことすらありませんでした。話し合ったことがない理由としては、「きっかけがなかったから」(56・0%)、「必要性を感じていないから」(27・4%)という結果でした。意思決定といっても、決して楽しい選択があるわけではなく、話し合うことにある程度のパワーがいることも事実です。ただ、大変な選択だけではなく、大切にしていることを大切にしている人と話すことだけでもプロセスのひとつだと思います。 「人生会議」は一般公募で決まった愛称であり、なんと静岡県内で働く看護師さんが応募したものでした(応募総数1000以上!)。「食卓の場など身近な場面でも話せるくらいACPが浸透してほしい」という思いが込められているようです。本内容が少しでも役立てば幸いです。

〈参考文献〉
西川満則、長江弘子、横江由理子/編:本人の意思を尊重する意思決定支援
森田達也、木澤義之、田村恵子/編:緩和ケア Vol.29 No.3 2019
安藤泰至、高橋都/編:シリーズ生命倫理学 終末期医療
大竹文雄、平井啓/編著:医療現場の行動経済学



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