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JA静岡厚生連 機関誌「すてっぷ」特集記事です。 2019.7 NO.500
歴史と感染症と私


リハビリテーション中伊豆温泉病院

薬局長

久保田 貴光

はじめに
 みなさんこんにちは。私は三十歳の頃から急に読書をするようになりました。何かきっかけがあったわけでもなく、なぜ読書をするようになったのか考えてみても、思い当たる節がみつかりません。そして四十歳を過ぎた今では、読書が私の一番の趣味となり、自宅の本棚は何百冊もの本でいっぱいです。



 最近では、よく歴史に関する本を手にする機会が多いのですが、歴史のターニングポイントとなる出来事の中には、意外と感染症が関わっているということを知りました。今回は私の趣味に関する知識(歴史)と仕事に関する知識(感染症)をミックスしたお話をさせて頂こうと思います。

人類の発展と感染症
 感染症とは、細菌やカビ等の真菌、ウイルスや寄生虫等の病原体が体内に侵入して引き起こす病気のことをいいます。感染は病原体が人間の体内に侵入して定着、増殖することで成立します。感染しても症状が現れる場合(顕性感染)と、症状が現れない場合(不顕性感染)がありますが、総じて「うつる病気」のことを感染症といいます。感染症は人口が集中し、交通手段が発達している地域で流行しやすく、逆に言うと人口が少なく、人やモノの動きが少なくて遅い地域では流行しにくいといわれています。
 人類はその誕生からしばらくの間、狩猟と採集という限られた手段で食糧を確保していましたがその後、農耕と野生動物の家畜化という新たな手段によって食糧を確保することに成功しました。諸説ありますが、今からおよそ一万年前には羊などの家畜化が始まっていたようです。
 食料確保の手段が狩猟と採集のみでは得られるエネルギー量は少なくまた、長距離の移動を必要とするため、子供を産んでも子育ての手間を考えると、次の子供を産むまでには少なくとも二年以上の間隔を必要としたため、人口が急速に増えることは無かったようです。
 それが農耕と家畜という食糧確保の手段を手にすることによって、一定の場所で生活しながら、以前より多くのエネルギーを摂取することができるようになり、人口が増えていきました。人口が増えれば集落間の人やモノの交流は盛んとなり、人類の発展とともに、感染症が流行しやすい条件は整っていきました。
 また家畜を飼うことによって、家畜を感染源とした新たな感染症を人類にもたらす原因となってしまいました。そして、その後は人類の歴史と共に感染症も歴史を刻んでいくことになります。

人類の発展と感染症
 天然痘はウイルスを病原体とする感染症です。1980年にはWHOによって根絶が宣言され、今ではその脅威も存在しませんが、人類は長きにわたりこの天然痘に苦しめられ続け、歴史にも大きな影響を与えてきました。
 天然痘は一万年前には既に存在していたようで、天然痘に感染した痕(痘疱)が残るエジプトのミイラも発見されています。
 天然痘が人類の歴史に与えた影響は大きく、いくつものエピソードが存在します。みなさんは南米に存在したアステカ帝国やインカ帝国をご存知でしょうか?
 十五世紀の大航海時代、旧大陸(ヨーロッパ)による新大陸(南北アメリカ大陸)の発見が始まった際、アステカ帝国はエルナン・コルテスにより、インカ帝国はフランシスコ・ピサロによって征服されます。歴史の教科書では両帝国とも馬と鉄器を持つ者(旧大陸)と持たない者(新大陸)の軍事力差による敗北とされていますが、両帝国が滅亡する最大の要因は、旧大陸からもたらされた天然痘に新大陸が感染したことによります。
 今まで外部と接触する機会が無く、感染症に対し抵抗力を持たなかった新大陸に対する天然痘の影響は凄まじく、インカ帝国にいたっては人口の六〜九割が天然痘で命を落としたとされています。
 他にも十八世紀、北アメリカ大陸で起こったフレンチ・インディアン戦争では、親切心を装ったイギリス軍がインディアンに対して天然痘をすり込んだ毛布を支給し、感染したインディアンに大打撃を与えています。他にもアメリカ独立戦争の際に、ジョージ・ワシントン率いる独立軍は軍内の天然痘流行によってカナダへの侵攻につまずくことになります。



 日本の歴史にも天然痘は影響を与えています。平安時代に栄華を極めた、摂関政治で有名な藤原道長は、天然痘による兄弟の死によって、実権を握ります。「この世をば我が世とぞ思う〜」の和歌も、天然痘の流行が無ければ歌われることは無かったかもしれません。天然痘は感染することによって失明するケースもあったのですが、戦国時代に独眼竜の異名で知られた戦国大名「伊達政宗」や、米百俵で有名な江戸時代の長岡藩士「小林虎三郎」は天然痘によって片目を失明しています。また天然痘への恐怖は、人類に感染症と戦うための「予防接種」という武器を誕生させるきっかけにもなりました。
 このように天然痘は長きにわたり、人類の歴史に多くの影響をもたらしたのです。

ペスト
 ペストは細菌を病原体とする感染症で、普段はネズミからノミを介してネズミに感染しますが、ヒトへの大流行期にはネズミ→ノミ→ヒト→ノミ→ヒトに感染するといわれています。人類の歴史において、ペストが大流行する舞台はヨーロッパです。
 記録に残っているヨーロッパで最初のペスト流行は、六世紀の東ローマ帝国。当時の皇帝であったユスティニアヌスもペストに感染しています。次の流行は十一世紀、パレスチナからの十字軍の帰還船がクマネズミを持ち込んだことによりヨーロッパにペストがもたらされたといわれています。
 そして全ヨーロッパにまたがり大流行し、多大な被害をもたらしたのが十四世紀。もともと中国で発生したペストがモンゴル軍のヨーロッパ遠征による大移動の際に、持ち込まれたクマネズミによってもたらされました。この時、ヨーロッパ全人口の1/3〜1/2、およそ二千万〜三千万人が死亡したといわれています。皮膚に黒紫色の斑点や腫瘍ができることから「黒死病」と呼ばれ、非常に恐れられました。ヨーロッパでの人口激減は、封建領主に対する農民の地位を高めることになり、荘園制(農奴制)に大きな影響を与えました。結果としてその後、農民への待遇は改善され、個人の土地を所有する者が増えていきます。



インフルエンザ
 インフルエンザは現代でも毎年冬になると流行が懸念される、ウイルスを病原体とする感染症です。インフルエンザはその当時、ウイルスの存在は知られていないものの、古くから東洋においても西洋においても認識されていたようです。日本でも平安時代に「逆咳(しはぶき)」という名前で文献に登場しています。
 インフルエンザはA型とB型に大きく分類されますが、世界的な大流行(パンデミック)を起こすのはA型です。歴史上最も有名なインフルエンザは第一次世界大戦時に大流行したスペインかぜではないでしょうか。当時の世界人口約十六億人のうち、少なくとも五憶人が感染し、死者の推計は最大で5千万人といわれています。
 スペインかぜと呼ばれているため最初の流行はスペインと思われがちですが、実はスペインがインフルエンザの流行を公表する以前の1918年3月に、アメリカ合衆国で流行が始まりました。
 当時は第一次世界大戦の最中であって、各国ともインフルエンザの流行を隠ぺいしていたのですが、第一次世界大戦に不参加であったスペインが最初に公表したために、スペインかぜという名前が付いてしまったようです。第一次世界大戦が無ければ、アメリカかぜと呼ばれ、軍隊が移動することも無いのであそこまで大流行しなかったのかもしれませんね。



新興感染症
 感染症は人類の誕生と共に存在したものばかりではなく、現代においても新たな感染症が発生し続けています。1970年代以降、新たに発見された感染症を新興感染症と呼びます。エイズやエボラ出血熱、重症呼吸器症候群(SARS)や出血性大腸炎(O‐157)等、既に三十種類以上も存在します。我々人類は、過去の感染症の歴史を参考に新たに発生する感染症への対処法を学習し続ける必要がありそうです。

おわりに
 私は以前より何度か、すてっぷに記事を掲載させて頂く機会がございましたが、今回は記念すべき五百回の節目に原稿依頼を受けることとなりました。何か今までと違った記事を書けたらと思い、医療のことだけでなく自分の趣味の分野にまで内容を広げさせて頂きました。読んで頂いた皆様にとって、何かひとつでも得るものがございましたら幸いです。

〈参考文献〉
  人類と感染症の歴史‐未知なる恐怖を超えて-丸善出版
  サピエンス前史 上・下 河出書房新社
  銃・病原菌・鉄 上・下 草思社文庫



JA-shizuokakouseiren.